福岡大学・乾真寛監督。教え子の永井謙佑と(写真提供=福岡大学サッカー部)
2009年には総理大臣杯に優勝、インカレ準優勝という輝かしい成績を収めるなど、九州の強豪として名高い福岡大学サッカー部。2018年のインカレでは、その年の総理大臣杯の覇者・明治大学に1-0で勝利、2021年のインカレでは、同じくその年の総理大臣杯の覇者・法政大学を1-0で下すなど、関東大学サッカーリーグ1部の名門にも負けない実力を備えている。チームを率いるのは、ユニバーシアード3連覇、全日本大学選抜の監督など数々の実績を誇る乾真寛監督。今回はそんな乾監督に、指導者として大切にしていることやスカウティングの際に重視していることなど、いろいろと話をうかがった。
ーーまず乾監督がサッカーをはじめたきっかけや簡単な経歴、指導者として大切にしていることなどを教えていただけますでしょうか?
サッカーを始めたのは小学校4年生の時だったと思います。私たちの世代は『赤き血のイレブン』というアニメに影響を受けた人が多く、それを見ていて仲間たちとサッカーを始めました。私は島根県松江市で生まれ育ったのですが、県立松江北高校でサッカーをやっていました。高校時代はだいたい県4強くらい、良くて決勝進出という感じで、全国大会に出場したことは一度もありませんでした。
当時の島根県は、サッカーどころと呼ばれる静岡県、広島県、埼玉県といった“御三家”に比べて、サッカーの普及の度合いや指導者のレベルなどが極端に低く、サッカーに関する情報に飢えていました。なので子供ながらも本屋さんに行って指導本を漁るなど、自分で情報収集をしていました。中学、高校の頃の練習メニューなども、主将であった自分が独学で考えていましたね。
それでもサッカーに関しては触れる機会も学べる機会もまだまだ少ないと感じていたので、大学に行ってもっとサッカーを学ぼうということと、将来はサッカー指導者を目指していたこともあり高いレベルで勉強したいと思い、筑波大学に進学したんです。
大学では2学年上に、現日本サッカー協会会長の田嶋幸三氏がいて、同期には現浦和南監督の野崎正治氏、元JFAの審判委員長を務めていた小川佳実氏、2学年下は“筑波大学黄金世代”と呼ばれていて、元日本代表の風間八宏氏やソニー仙台FCの監督に就任した、元JFA技術委員会指導者養成チーフの鈴木淳氏などがいました。
当時の筑波大学蹴球部は150人くらい部員がいて、カテゴリーはA~Dの4つに分かれていました。高校時代のサッカーの経歴は、先ほども話しましたがだいたい県4強程度。国体の代表や中国大会には出場したことはありましたが、一般入試の無印選手だったのでDグループからスタート。しかし、自分なりに努力の仕方を工夫し、DからC、CからBへと徐々に昇格しながら2年の春に上のカテゴリーになり試合に出場できるようになりました。自分自身がいちばん下からのスタートした人間だったので「決してトップチームだけでなくすべてのチーム、選手を」という思いは今でもポリシーとして大切にしています。