大阪産業大学 安里晃一監督(写真提供=大阪産業大学サッカー部)

ーーJFLの時はどんな仕事をやられていたんですか?

 JFLの時は本当に大変で、朝の7時半から夕方の16時半までごみ収集をやっていました。それでもサッカーが好きだなと思えたのは、夜19時からの練習で、グラウンドは転々としていたんですけど、仕事をしながらでしんどいんですけど、やっぱりJFLというカテゴリーは全国でHOME&AWAYがあって、色んな選手と対戦が出来ますし、サポーターがいて、勝った喜びがモチベーションになって続けることが出来ました。それでもJFLの環境は本当に大変で、AWAYで北九州があったんですが、バスで13時間ぐらいかかって「試合で動かれへん」って時もありました(笑)。

ーー大学から社会に出て更にサッカーをやるっていうのは大変だったと思うんですが、そこでサッカーに対して心境の変化はありましたか?

 Jリーガーになっていたらお金を貰って良い環境でサッカーが出来たんでしょうけど、逆になれなかった事でいい経験が出来たと思っています。JFLにも熱い選手はいますし、仕事と両立しながらやっていく事で、「仕事してお金がもらえるって大変なんだな」と気付くことが出来ましたし、好きなサッカーをやってお金がもらえたら一番いいんですが、そういう経験があったから、今大学サッカーで経験を積み重ねて監督になって、自分が好きなことを仕事に出来ているので、本当に幸せだなと思っています。

 第2回に続く。

 (文=会田健司)