ーー長野さんにとってサンフレッチェでの経験は大きかったですか?
当時のサンフレッチェ広島には、森保一(日本代表監督)、森山佳郎(U-17日本代表監督)、横内昭展(ジュビロ磐田監督)、影山雅永(JFAユース育成ダイレクター)と、後に各年代の代表監督になる面々が、おられたんです。我々は、1週間に一度、コーチングスタッフによる指導者研修会を実施し、日本を代表する選手を育成することを目的に、数々の現象について、いかにして選手に落とし込むか議論し続けました。より良いコーチングやトレーニングメソッドを考案するためにディスカッションが活発に行われました。今となれば、このような方々とのサッカー哲学の構築は、私の大きな財産となっています。
結局、試合中のコーチによるコーチングだけを伺っても真の狙いはわかりません。監督やコーチは日々の選手との対峙によって、言葉やタイミングをチョイスします。「なんでそこでそういうこと言うの?」って批判する人も多いけど、それはその試合だけ見ていてもわからないんですよ。なんでこんなプレーで褒められるのか、めちゃくちゃいいプレーだけどなぜか怒られているとか。それは選手と監督のやり取りの問題だからなんです。そう考えると、若く未熟な私のコーチングを温かく見守り、育ててくれたサンフレッチェ広島というクラブには感謝という言葉しか思い浮かびません。
ーー教え子との印象的なエピソードを教えてもらえますか?
僕がドイツのライプチヒ大学に留学している際に、偶然にも槙野(智章)がFCケルンでデビューすることになりました。無理を申して研修中に3日間休みをもらい、東ドイツから西ドイツまで飛行機で飛んで試合を観に行ったんです。試合後に一緒に食事をする機会に恵まれました。ドイツに来てからまだ数ヶ月だというのに、その日本食屋で、既に槙野ワールドが出来上がっていて、多くのファンに囲まれていました。彼は周りを巻き込むのが本当に上手いんですよね。だから数々の記事を見ていても、悪く書かれたりしないですし、きっとメディアの人ともすごくいい関係を作っているんだろうなって思いますよね。単身で異国の地に渡り、勇敢に戦う教え子の姿に、勇気を与えてもらったことを覚えています。
ーー長野さんが一番影響を受けた指導者は誰ですか?
僕が広島に行った際に最初にアシスタントをさせて頂いたのが、河内勝幸さんですね。当時のトップチームの監督はW杯でベスト4時のオランダのスーパースター、ビム・ヤンセンで、彼がチームをトップとサテライトに分けていたんです。僕はそのサテライトチームでマネージャーのようなアシスタントコーチのような仕事をさせて頂きました。その時目にした河内さんのトレーニングは目から鱗でした。河内さんが行われたトレーニングは、毎回ノートにつけていて、未だにそのノートは大切に持っています。
河内さんのコーチングのタイミングは、他の人と全然違っていました。いつも3.4手ぐらい先の事を言うんですよ。ベンチに座っていると隣で河内さんが「あかん、やられる!」って言い出して、その時はわからないんですが、数プレー後に本当に崩されるんですよ。一体この人はどこを見てんのかな?と。どんどん先の事を言うから、こっちはどこを見ればいいのかわからなくなるくらいで。サッカーは予測のスポーツと言いますが、オフザボールの局面を見極めて、選手を優位に立たせるコーチングをここで学びました。
ーー先ほどのUEFAのライセンスを取りに行った際の教えとも共通していますね?
そうですね、今は試合を上空より、AIを搭載したカメラで撮影し、ドライブで映像を選手と共有しています。90分の試合が終わってからミーティングすることはなく、その試合をすぐにアップロードさせて、グループLINEで共有し反省文を書くことで、時間を簡略化しています。本当は帰ってミーティングしたらいいんでしょうけど、選手たちもバイトやらで忙しいので…。
この上空からの映像は、僕らも勉強になります。試合中に正しいと思って伝えたことも、後にビデオを見返すと選手の判断が正しかったことも多々あります。僕もコーチングで何度も失敗します。その際は、選手にも謝ります。そこはもう何も包み隠さず「ごめん、あれは俺の見方の間違いだった」って。「あのプレーはどういう意図があったの?」と、そういう擦り合わせをするようにしていますね。