東海大高輪台・川島純一監督
2009年、2016年にインターハイ出場経験を誇る東海大高輪台サッカー部。第98回全国高等学校サッカー選手権東京都大会Bブロックにおいて決勝まで進出しながらも、ラストワンプレーでの失点で惜しくも出場を逃してしまった悔しい経験を糧に、東京屈指の強豪校へと進化を遂げている。そんな気鋭校を率いる川島純一監督に、指導者を目指したきっかけなどをうかがった。
ーー川島先生の経歴を教えていただけますでしょうか?
高校は東海大菅生で3年生の時に選手権に出場しました。その時にキャプテンをやっていまして高校卒業後は東海大学に進学しました。4年間サッカーをして卒業後は3、4年くらい神奈川県の教員をやっていたんですけれども、そこでサッカーの指導の基本を学びました。東海大高輪台に来たのはその後ですので、大学卒業後5年目くらいですかね。監督としては2009年からで、現在に至るという感じです。
ーー2009年というと、東海大高輪台が最初にインターハイに出場した年ですか?
そうですね、その子たちが1年に入学してきた時から一緒に見てきまして、監督に変わった年ですね。
東海大高輪台サッカー部練習風景
ーー指導者を目指したきっかけなどを教えていただけますでしょうか?
もともと体育の教師になりたかったんです。もう小学校の時くらいから。サッカー選手も目指していたんですけれども体育の教師というのも二本柱で目指していました。大学に進学する時も体育の教師を目指せる環境を、関東リーグでサッカーできるという面から、東海大学に進学したんです。 だから大学を卒業して神奈川県の教員をやっていた時も、体育の教員になりたいというのが一番だったんですけれども、サッカーという面で見ると高校3年生の時に初めて選手権に出場したんですけれども、その時の環境が素晴らしくて。準決勝や決勝などで東京都の色々な先生にお会いしたり、お世話になってる人に声をかけてもらったり、「高校サッカーって素晴らしいな」ということを感じることができたんです。その素晴らしいと思った高校サッカーを、生徒たちに教えてあげたいという思いが高まって、「自分にできることは何かな」と考えた時に、サッカーの指導者になりたいと思ったのがきっかけですね。
ーー川島先生が指導者として尊敬されている方はいらっしゃいますでしょうか?
自分も高校、大学とサッカーをしていて、サッカー選手ではあったんですけれども、大学を卒業して指導者としてまず一歩踏み出した時に、「サッカーを教えることってこんなに難しいんだ」と思った時があったんです。サッカーをずっとしていましたし、なんとなく「サッカーを教えることなんてそんなに難しくないだろう」といった変な余裕みたいなものがあったんですけれども、それが全くできなくて。そんな時に出会ったのが、現在神奈川県で教員をされている福原光伸先生という、以前、弥栄西高校をインターハイ出場に導いた方なんです。
その福原先生に1から「指導のイロハ」を教えていただいたんです。全く別の角度から教えていただいた感じで「あ、こういうものなんだ!」という衝撃を受けましたね。それは今でも私の指導のベースになっていますね。そこに自分なりのオリジナリティを加えているという感じです。教員としてもサッカー指導者としても色々なことを教えていただいたのが福原先生ですね。福原先生は東海大学の大先輩でして。私が大学4年生を終えるときに教員を希望していたんですけれども、その時に面識がなかった私を恩師とのつながりで呼んでいただいたんです。
あとは監督をやりだして影響を受けた先生は、以前新潟工業の監督をされていらっしゃいました宮崎先生ですね。宮崎先生には今でも夏とか遠征に呼んでいただいて交流があるんですけれども、宮崎先生と出会ったことでとても刺激を受けて、「東海大高輪台でこういうサッカーがしたい」というものが確立したんです。いまのチーム作りのベースになっている感じですね。
宮崎先生のサッカーを見ていてると、選手がすごく楽しそうだったんです。パスもつなぐしドリブルもするし、チームとして決められたことはあるんですけど、その決め事の中でやりたいことをやっているというか。そのサッカーにも刺激を受けましたね。自分自身、頭の中では漠然と「やりたいサッカー」というものは思い描けてはいたんですけれども、「あ、こういう風にやればいいんだ!」というようなヒントを与えてくれたのが、宮崎先生ですね。ショートパスをつないだり、ドリブルで運んだり、ロングボールを蹴ったり…。本当に楽しそうに自分たちでサッカーしていたんですよね。