各校の勢力均衡が著しく映る東京において、トップレベルを維持し、前身となる久留米高校時代に2度、現校名へと変更したのちにも2度の全国選手権出場を果たした“クルソー”こと都立東久留米総合。今年6月に行われた全国高校サッカーインターハイ東京都予選ではあと一歩のところで全国出場を逃す結果に終わりましたが、イレブンはすでに選手権を見据え、日々トレーニングに励んでいます。今回、高校サッカードットコムでは、そんな都立東久留米総合に取材を敢行。都内屈指の強豪校を率い、今年で19年目を数える齋藤登監督にお話を伺ってきました。
――今、就任されてどれくらいですか?前身の久留米高校時代に10年間、総合高校になってから引き続きという形で9年目ですから、これで19年目ですね。
都立東久留米総合高校・齋藤登監督
もともと久留米高校に10年いられたのも都立高校の教員としては珍しいことですし、また総合高校では転勤した形になっているので、一応0からですけれども、それでも9年間いられるのは幸せなことです。
結局、久留米から総合に変わった時には最初1年生しかいなかったんです。普通課程から総合課程に変わるので、久留米最後の40期生が入学した後は募集停止となり入試を行わず、40期生は全国に出られたんですけどその時は3年生しかいなかったんです。それが卒業して、総合高校1年目は1年生しかおらず、それでも彼ら1期生が3年生になった時に運よくまた全国に出ることができたんです。
久留米高校は前任者が山口隆文(現日本サッカー協会技術委員長・育成担当)氏というサッカー協会でも優秀なリーダーシップをもっている人物でした。彼が久留米を全国に一度出し、結局は都立高校なので転勤する時期がくると、齋藤に引き継ぎたいと呼んでもらって来たんです。着任後なかなか全国に出られなくて自分も10年間苦しい想いもしましたが、努力が実ってというか、我慢した甲斐があって最後10年目に全国に出られました。
でも、あくまでもそれは山口前監督やその恩師にあたる小峰先生が久留米高校とういう土台を築いてくださり、その上で自分が全国に出したという結果でした。なので、総合になって1年生しかいないところから始めた1期生が全国に出られて、また3期生はインターハイも選手権も全国に出られて、本当に自分自身で0から作ったチームが全国に出られたというのは大きな喜びです。