グラウンドでランニング(写真=四日市中央工サッカー部提供)

 1983年度にはインターハイ、1992年度には帝京との両校優勝で選手権を制し、全国に「ヨンチュウコウ」の名でその名をとどろかせている四日市中央工(三重)。近年でも日本代表FW浅野 拓磨(パルチザン・ベオグラード<セルビア>)が2年生で大会得点王となった2011年度選手権では準優勝。昨年の全国高校サッカー選手権ではベスト8進出を果たした名門校である。

 そんな四日市中央工を昨年度から率いるのが、1992年度・選手権優勝メンバーの1人でもある伊室 陽介監督。今回は現役時代、コーチ時代の話も交え、数々のJリーガーを生み出している「四中工スタイル」の真実や、昨年選手権ベスト8の秘話。そして「これから」について前編・後編に分けて語って頂いた。

 現役時代・コーチ時代の話と「四中工スタイル」の真実を明かして頂いた前編に続き、後編では昨年度のチームについてと、これからの「四中工サッカー」について語って頂きます。

伝統の力と現代サッカーへの修正が「選手権ベスト8」へ

 昨年度のチームはポテンシャルから言えば三重県では負けないチーム。ただ、メンタル的に不安定な選手も多く負ける要素はたくさんありました。ですので僕は学力の部分などオフ・ザ・ピッチの部分で促しながら、彼らの「サッカー小僧」な部分を引き出そうとしました。

 沖縄インターハイで尚志(福島)に0対5で敗れてからは三重県大会に入るまでチームは不安定でした。僕も胃薬を飲みながらキャプテンと面談したり、主力と話をしたり。実は戦術な部分では当時、京都サンガの監督をしていた(中田)一三にも相談しましたし、三重県大会決勝後には解説に来てくれた小倉(隆史)から選手たちに話をしてもらったこともあります。浅野 拓磨も帰ってきたときに「人のためのサッカーをすることで自分が頑張れる」話をしてくれました。OB会、現在のスタッフも含め、これが四中工・伝統の力だと思います。

 そんな中で、それぞれの役割の中で彼らの良さを最大限出すことを、チームコンセプトよりも優先させながら「チームのために闘う」を植え付けたこと。さらに、現代サッカーはバスケットボール化している部分があるので、マンチェスターシティの4-3-3・5レーンの中でどう関わるか。選手個々の判断基準を与えるためのプレーの共通理解には四中工独自の言葉もあてはめながらトレーニングを積んできました。

 もう1つ力を入れたのは週一回の「朝読」。金曜日の朝練習をやめて個々に本を読み、残り10分でコラムを紹介して、そこに対しての感想を書いてもらう。その中で「変えたい。変わろう」という姿も見られました。その成果が選手権でのベスト8につながりました。

 ただ、冷静に考えればあそこまででした。選手権前には「現実的な目標を立てよう」ということで「全国ベスト8」を掲げていたんですが、準々決勝で矢板中央に負けた時も選手たちは本気で泣いてなかった。サッカー以前に現状では矢板中央とは「上を見て継続できる」差があることを感じました。

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