総体予選決勝戦に臨む山田智章監督(左端)(写真=多田哲平)

――本格的な戦術を落とし込むよりは、まず選手の姿勢の変えようと。

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 まずはサッカーを好きにさせないといけませんでしたから。昔の高校サッカーって今では問題になるようなことも平気であったし、先輩後輩の上下関係も厳しかった。だから選手にはサッカーを嫌いになってほしくないなというのが前提としてありました。練習が終わった後にボールを使って遊ぶことから初め、そこから少しずつ自主トレに付き合ってみたりとか、そんな流れで少しずつ選手の意識を変えるようにしました。

――山田先生が影響を受けた指導者は誰ですか?

 一緒に勉強させてもらった四中工の元監督の樋口(士郎)さんですね。指導者になってからも何度も胸を借りて対戦させてもらって、プリンスリーグにいた時には同じステージで戦ったこともあります。樋口先生は厳しさのなかに優しさがすごくあって、子どもたちを大事にする。現役時代から本当に和を大事にする方です。そこはすごく影響を受けましたね。

――コーチから監督になったのがいつですか。

 平成4年から8年間コーチを務めて、平成12年に監督となりました。私が35歳の時です。

――磐田東の監督となり、成果を実感し始めたのはいつ頃でしたか?

 私が監督になって2年目の時に県の新人戦で準優勝したんですよ。その時の決勝の相手が静学でした。谷澤達也とかの年代ですね。

 その年の初め、うちにはレギュラーと言えるようなGKがいなくて、身体能力が高い子に任せてみたんです。初めは西部の予選で、強豪でもなんでもないチームに2失点してからのスタートでした。しかし、その初戦はなんとか逆転して勝つと、そこからとんとん拍子に良くなって、決勝に進出できた。最終的には静学に0-2で負けはしましたが、準優勝という結果を残せた経験は、私にとって大きかったですね。

 教員になった経緯は普通の人とは違うので、本当にゼロからのスタートでした。なので、いろんなことに臆せずチャレンジできる環境だったのが良かったのかなと思いますね。

 その大会でのGKの子の成長ぶりを間近で見て、いろんな工夫を凝らして、チャレンジすれば成功できるんじゃないかなと私自身が考え始めて。そのへんからですよね、ひとつの指針が定まったのは。

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