総体予選決勝は2-0で藤枝明誠を破った(写真=多田哲平)

――自分自身の葛藤を経たからこそ、そう考えられたわけですね。山田先生はどんな高校生活を?

 【マッチレポート】令和4年度全国高校サッカーインターハイ(総体)静岡予選 決勝 磐田東 vs 藤枝明誠

 Aチームにいた時期はそんなに長くありません。私が高校2年生の時に清水商が全国選手権に初出場で3位になりましたが、その時はベンチに入っていました。ただ、先ほども言ったように3年生の最後にはメンバー外。それでもなぜ日本リーグの本田技研に入れたかと言うと、本田との練習試合に出場した時に偶然良いプレーができて。本当にたまたまです。

――メンバーに入った時期も外れた時期も、どちらも過ごしたからこそ、様々な生徒の気持ちも分かるのでは?

 PJMではキャプテンも経験させてもらいました。要は日陰も日向も知っている。今考えると、それが教員・指導者となって活かされる場面が多々あります。

――清水東三羽烏(大榎克己、長谷川健太、堀池巧。いずれも1965年度生まれ)とは同じくらいの年代ですよね。

 私は彼らのひとつ上で、本並(健治)とかと一緒ですね。

――清水東三羽烏はやはり凄かったですか。

 そうですね。彼らも小学生時代から選抜に入っていたので、一緒に話をしたことはありました。清水はサッカーどころでしたし、彼らは高校時代から全国的に有名で、サッカーをやっていて知らない人はいないんじゃないかなというくらいでしたね。

――その頃から静岡の高校サッカーというのは、全国でも屈指の激戦区でした。

 今は勢力図が変わっていますけど、昔は清水東とか清水商、東海大第一(現・東海大翔洋)、あとは静岡工、西部地域では浜名とか。そして藤枝東や静岡学園も。強豪校はいくつかありましたよね。

#2へ続く

(文・写真=多田哲平)