現在はアメリカへの海外留学をサポートする仕事がメイン。説明にも熱が入る(写真提供=株式会社WithYou)

 アメリカへの海外留学をサポートする株式会社「WithYou」を起業した中村亮さんは、FC東京でプレーした経歴を誇る元Jリーガー。しかし引退後に身血を注げる新たな道を見つけられたのは、そんな「Jリーガー」という肩書きを捨てたからだという。

 不要な鎧を脱ぎ捨てて渡ったアメリカでは伸びない語学力に苦悩する日々。そんな生活を送る中で、ふと新たな道のアイデアを思い付く。そのきっかけは「サッカー」だったという。その後の道を激変させたアメリカでの大学生活などについて話を聞いた。

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――興味のあった教師を辞めて海外留学を目指そうと考えた理由はどういったことからなのでしょうか?

 教師を辞めてから渡米するまでに期間はありましたが、何かプランを温めていたわけではないんです。やりたい道も見つかっていたわけではなくて、その間はモデルとか芸能活動をやったり、スポーツトレーナーなどをやったりしていました。ただ、結局自分の手の届く範囲で道を探していて、どうしても熱を持って向き合えるものには出会えませんでした。

 そんな時に「自分自身にしっかり向き合わないと、ちゃんとした答えは出ないな」と思うようになって。今まで手を出してきたものがミーハーというかありがちなものが多いなと。一旦「Jリーガー」という肩書きを捨て、鎧を脱いで、「本当に自分がやりたいものはなんだろう?」と考えるようになったんです。

 それまでは「Jリーガー」という肩書きを捨てられなくて、自分からそっちの方に寄っちゃっていたんです。でももう「そんなの関係ないでしょ」と。「本当に自分がやりたいことをやればいいじゃん」と思うようになった時に、「あ、やっぱり海外行っていた時は面白かったよな」という気付きがあって。そこからまた海外留学に向けて、英語の勉強などを2年近くやるなど、準備をしてから渡米したんです。

 アメリカに行くと決めた時点でも、起業のプランは全然無かったんですけれども、とにかく環境を変えないと、汗をかいてゼロからできないなと。日本で見栄を張らなくてはいけない環境がものすごく苦しくて、煩わしくて、「誰も自分のことを知らない環境に行きたい」と思うようになっていたんです。そんなこともあって海外に行こうと。

 そこで、どうせ海外に行くなら仕事にも活かせるし英語を身に付けようと。で、英語圏に絞りつつ、イギリスとかオーストラリアを考えていたんですけれども、それって遠征などでも行ったことがあって。「ちょっと待てよ」と。行ったことがあるところだと、なんとなくまた同じようなことになってしまうというか、「Jリーガー」という肩書きに寄って行ってしまう感じがしたんです。

 そんな時に「アメリカって英語圏で留学もいちばん盛んだけど、一度も行ったことがないしサッカーもメジャーじゃないよな…」とふと思って。今思うと、サッカーと縁遠いところをチョイスしたのが良かったのかなと思いますね。今まで経験したことのない環境というものが。

アメリカの大学はグラウンドやトレーニング施設など環境も抜群だという(写真提供=株式会社WithYou)

――渡米を決めた後はスイスイと順風満帆だった感じなのでしょうか?

 いえいえ、そこからも苦労しました(笑)。まず英語に関しては十分準備をしたつもりだったんですけれども、日本の教科書で学ぶ英語と現地の英語は全然違ったんです。日本で学んだ英語なんてまったく使えませんでした。結局また1から学び直しで。

 ある程度までは身につくんですけど、圧倒的に実践が足りなくて。英語の上達にはネイティブのアメリカ人と会話することが大事だと気付いたんです。ただ、ネイティブスピーカーと話す機会を作っても、「ちょっとゆっくり、もう一回言って」とか何度も聞き直している僕に、彼らがイライラしてくるのがわかって。

 で、このままじゃいけないなと思ってアメリカの大学に入り直したんです。ネイティブスピーカーと話す機会をもっともっと増やそうと思って。大学のキャンパスに行けば学生がいっぱいいますし、授業も一緒に受けることになる。専攻も今まで経験してきたスポーツとは離れて、経営学にしました。

 そこで学校生活を送っていた時、ある日体育の授業でサッカーをすることになったんです。そこでまず11対11でゲームをやった時に、僕がめちゃめちゃ活躍したのでみんなびっくりして(笑)。最初は「普通にやればいいや」と思っていたんですけれども、だんだん負けず嫌いが出てきてVゴールもちゃっかり決めて(笑)。

 それで授業が終わって普通に帰ろうとしていたら、サッカー部の監督と選手たちが「お前サッカー部に入れよ」と言ってきて。その勧誘は断ったんですけれども、サッカーの授業で自身のパフォーマンスを披露したことで、次の日からサッカーの授業を一緒に受けた人たちと全員仲良くなって。

 その後はいろいろと面倒見てくれて、自分は関係ないのに僕の授業を一緒に受けてくれたり、宿題を教えてくれたり。サッカー部には入らなかったんですけれども、実質的にはサッカー部に入ったようなものになって。そしたら自分が今まで伸び悩んでいたスピーキングやリスニング能力がブワーッと上がり始めて。もう本当に急角度で上がっていったんです。その経験をした時に「あ、これだったんだ!」という感覚になって。

 英語を話せないから友達ができないんじゃなくて、僕が何に興味を持っているかを周りの人が理解していないから話しかけられないんだと。友達になりようが無かったからだと。自分の中で、それがすごい発見でした。

日本のサッカーや日本人のプレースタイルなどを説明する中村さん(写真提供=株式会社WithYou)

 ただ留学するよりも自分の特技を使って留学をした方が、本来の目的である英語力の習得にも役立つんだなと。それがスポーツで、しかも団体競技であれば尚更その環境を作りやすいなということに気付いて、「だったらサッカー最強じゃね?」となって、サッカー留学を調べ始めるようになったんです。そこで初めて企業の杭が1つ立ち始めたというか。

 そんな中、友達の話を聞いていると「オレはスカラーシップで全額免除なんだよ」「でもお前サッカー下手くそじゃん!」みたいな会話をしていて。自分からしたらそれほど上手いと思わない選手が奨学金をもらっているので、「自分の日本にいる友達でもけっこういけるな」って感じるようになって。で、仲良くなって施設とかも見せてもらうと、それがもうプロ並みの環境で。

 そのうちに彼らの試合も観に行くようになるんですけれども、手足は長いしフィジカルはあるし、アクションも大きいんですけど、元プロの目線で冷静に見ると、けっこう雑だったり、足元の技術も上手くないし、サッカーIQもそれほど高く感じなかったんです。日本では中学生や高校生でも当たり前に知っていることができていなかったり。

 そこで「彼らは日本人が持っているものを持っていないな、逆に彼らが持っているフィジカルなどは日本人は持っていないな」とか考えているうちに、「ここに日本人を連れてきたら面白いんじゃないか」って思い始めて。そこで「これはイケる!」と考え、本格的に会社を起こしてこの事業をやってみようと思うようになったんです。

 次回ではWithYouが急成長を遂げた理由や、中村さんがサポートする海外留学のメリット、そして今後の夢などについての話を紹介する。