ポルティモネンセU-23MF浅野葵
日本代表にも選出された中島翔哉が所属し、最近では権田修一(清水エスパルス)や安西幸輝(鹿島アントラーズ)などが在籍するなど、日本人選手と関わりの深いクラブとして知られるポルトガル1部所属の「ポルティモネンセ」。その下部組織(U-23)に所属しながら、トップ昇格、W杯出場を目指す選手がいる。浅野葵。日大藤沢時代は3年生の時に選手権神奈川予選決勝の桐光学園戦でゴールを決め、第98回大会の選手権本戦にも出場した。ポルトガルの地で日々戦う彼に、サッカーを始めたきっかけや高校時代の思い出などを聞いた。
ーーまずサッカーを始めたきっかけを教えてください
父がmalva(マルバ)というサッカースクールの代表をやっているので、それがきっかけですね。2歳からサッカーを始めて、スクールにも通っていました。サッカー漬けの毎日でしたね。サッカーをするために生まれた、みたいな感じでした。
ーープロになることを本格的に意識し始めたのはいつ頃からでしょうか?
高校に入ってからだったと思います。中学の時は、「高校サッカーで優勝したい」というような目標の方が大きかったんですけれども、高校に入ると周りには「プロになりたい」と考えている人が多くて。ギラギラしている選手が多かったですね。そういった人たちの影響もあって、高校1年生の時には自分も「プロになりたい」と考えるようになりましたね。
ーー小学生、中学生のときのポジションや、どんな選手だったかを教えてください
小学生の時はトップ下でした。その時はすごく小柄だったので、いい位置にポジションを取って、スルーパスを出したり、はたいたり、もう一回動いたり。「動いて敵がいないスペースを上手く見つけて」というような選手でした。中学生になると少しずつ体も大きくなってきて、ポジション的にはサイドハーフを3年間やっていました。「生粋のドリブラー」とまではいかないですけど、けっこうドリブルは多かったですね。当時はドリブルをやっていてもほとんど止められなかった気がします。
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