廃校になった旧・七会中学校を再利用して作られたクラブの拠点「アツマーレ」はピッチをはじめ素晴らしい環境を誇る

 浦和レッズとプロ契約し、その後大宮アルディージャへ移籍するとレギュラーとして活躍した元Jリーガーの西村卓朗氏。現在はJ2水戸ホーリーホックの取締役GMを務める西村氏だが、プロを目指していた大学時代でも「プロに行くのは難しい」と思っていたという。そこから夢であったプロ入りを叶えた経緯や、プロで主力として活躍できた理由などについて話を聞いた。

ーー西村さんが本格的に「プロになりたい」と考えるようになったのはいつ頃だったのでしょうか?

 おぼろげながら「プロになりたい」と思うようになったのが、そのイタリアW杯の時で。まだJリーグなどは無かったんですけれども、「こんな世界があるんだ!自分もプロになりたい」という夢を持ち始めたんです。

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 ただ高校に入ってからは、テクニックはある方でしたけど、スピードも無いですしフィジカルでも勝てないなど現実を突きつけられて。で、高校を卒業する時に進路をどうするか考えた時、プロや大学から声がかかるような選手ではなかったので、大学のセレクションにも行ったんですけど受からず。

 プロはおろか大学にも行けず、結局1年浪人するんです。海外に行くという選択肢もあったんですけれども、結局そこに飛び込めず、浪人して国士舘大学に入学しました。現実的にプロを意識したのは大学に入ってからですね。

 大学3年生の時に大学日本一になって、その時のメンバーにも入っていたんですけれども、デンソーカップのような大会のメンバーには入れなかったので、「プロに行くのは結構難しいんだろうな」と思っていました。そこで4年になった時に意を決して大学の監督に「このまま待っていてもオファーは来ないから、一度どこかのチームに練習参加させて欲しい」というお願いをして。そこでいろいろな人と話をして、たどっていったら浦和レッズの練習に参加できることになって。

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