東京ヴェルディ DF近藤直也選手/ ©TOKYO VERDY)

ーー選手時代の挫折はどのタイミングで、その挫折をどのように考え乗り越えましたか?

 2005年シーズン、プロになってから4年目のシーズンですね。このシーズンはとにかく怪我が多かったです。

キャンプあたりから、グロインペイン症候群で、鼠蹊部(そけいぶ)が痛くてなかなか治らず、8月くらいに手術したのですが、1ヶ月半後の9月末の練習でいけそうだなってタイミングで、今度は靭帯を3本同時に切ってしまいました。

お医者さんからも、「治るかわからない」ということを言われ、「サッカー人生が終わったな」と思いました。というのも、「交通事故でしかなり得ない状態です」って言われたんです。症状が相当酷かったということです。手術も通常であれば3時間程度で済むのに、7時間半〜8時間ほどかかる大手術でした。

そこからリハビリをして試合復帰できたのが翌年の9月ですが、膝をかばいながらプレーするので思うように自分の身体が動かないもどかしさを感じ続けていました。当時は相当ふさぎ込みましたね。サッカーを見たくないし、レイソルの試合を見ることも辛い。チームメイトのみんなの元気な姿を見ることも辛い。だから、怪我をしている間はサッカーを意識的に見ないようにしていましたし、なるべく選手と絡まないようにして、サッカーと関係ない人ばかりと過ごしていました。サッカーに関わること自体が相当自分のストレスになっていたので、一旦離れようと。当時はかなり辛かったです。

ーー現役のプロサッカー選手でありながら、フットサル施設やスクールの経営をはじめようと思ったのはなぜですか?

 一番のきっかけは、昔レイソルで中心メンバーとして試合に出ていた選手で、日本代表レベルまでいった選手がいたのですが、その選手の引退後を知った時ですね。

彼は引退後、地方のサッカースクールの雇われコーチとして働いているということを知り、それがあまりにも衝撃的でした。当時その人はサッカー以外のことは深く考えていない印象があり、自分もこのままだと同じ道をたどるんだろうなと思ったときに、「もしそういう状態が嫌なのであれば、自分で始めてしまおう」と思ったんです。

ただそうは言っても、会社の作り方も分からなければ、財務のことも分からないという状況でした。ですが、分からないことをわかるようにしていくにはあまりにも時間がかかると思ったので、とりあえず分からない中でもやってみようということで、フットサル施設と、サッカースクールを始めました。始めてしまえば問題は出てくるだろうけど、やらないといけない状況になるので、ダメな所はやりながら改善していこうと思っていましたね。

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