ーーそれから三菱養和SSに入られたんですよね?

 サッカーを始めたのが新宿区の少年団だったんですけれども、平日の学校が終わった時間をもっと有効に使いたいとか、レベルが高いところでやってみたいと思うようになったんですね。それと小学校から中学校に上がる時に、その頃は高校サッカーが全盛期で、帝京が強くて自分も憧れていたんですけれども、「じゃあ帝京に行くにはどうしたらいいか?」ということを考えるようになったんです。

 地元の中学校にはサッカー部がなくて、「中学でサッカーをやるにはどうしたらいいか?」というのも同時に抱えていた問題で。まず帝京に入るためにはどうしたらいいかを関係者の方に連絡したんです。そこで当時監督だった小沼(貞雄)さんと話すことができて。ちょうどその時に、三菱養和から帝京に3人入学した選手がいたんですね。そこで小沼さんから「三菱養和に行けば、もしかしたらウチに入れるかもしれない」という話を聞いて。

 平日の夜も練習をしたかったですし、帝京に行ける可能性があるなら「じゃあ三菱養和に」ということで、小学校6年生の秋から三菱養和のジュニアチームに入ったんです。

ーーでも結局帝京には行かず三菱養和を選んだんですよね?

 もちろん「帝京に」ということは頭にあったんですけれども、“サッカーを楽しむ”という三菱養和の環境や雰囲気が自分に合っていたので、「そのまま上がってやりたい」という気持ちの方が強くなっていったんです。

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