その落合、高校サッカーでは名高い群馬強豪校・桐生第一高校で1年生からトップチームでプレーする逸材。3年生になりキャプテンを務めた。おりしも新型コロナウィルス感染症が猛威を振るい始めるなか、落合はどのような3年間を過ごし、桐蔭横浜大学での日々に生かしたのか。

――3年生のとき、キャプテンに任命されました。強豪校で主将を務めることは名誉であるととも、責任が出てくると思います。

 キャプテンに任命された際、実は最初、断りを入れたんです。それは個人的に調子を落とすんじゃないか、うまくいかなくなるんじゃないかと感じたからです。田野豪一監督に「ほかの選手に任せてほしいです」と伝えましたが、監督は「これから続くサッカー人生のなかで、こうした経験はいましかできないから」と。この言葉に「そうした考え方もあるな」と思い、引き受けました。

――このとき、新型コロナウィルス感染症の世界的な蔓延がありました。この年、2020年はプリンスリーグが9月から12月開催と大会の縮小、また大会自体が中止になるなど、選手にとって苦しい時期だったと容易に想像できます。

 6歳のとき、サッカーを始めましたが、サッカーできなくなった環境は初めてでした。思い出すと…個人としては高3の時期がつらくて、プレー面でもうまくいきませんでした。この年、群馬県でインターハイが開催される予定でした。地元で行われるということも桐生第一に決めた理由のひとつでした。またインターハイで活躍すれば、スカウトの目に留まるようアピールしようと考えましたが、大会自体中止になってしまいました。キャプテンとしては今までは自分のことだけを考えてサッカーしていたのが、チームメイトなど周りのことを気にしなければなりません。そのあまりに、伸び悩んでしまい、うまくいきませんでした。時間を見つけて自主練はしていましたが、全体練習とは違いますし、難しかったですね。ただ、キャプテンになったことにまったく後悔はありません。

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