――1年からトップチームでプレーし、活躍が認められ、3年でキャプテンを務めましたが、新型コロナで、試合がしたくてもできなかった、高校3年間を経て、桐蔭横浜大学に入学しました。高校と大学の違いを感じるところはありますか。

 自分では「すぐにトップチームにあがれるかな」と思っていましたが、いざ入ってみて、「これじゃ上がれないな」と。時間かかっても足りないものを補わないといけないと無理だなと感じました。焦らず、いま身を置くカテゴリーと向き合ってきました。具体的に足りない部分は守備ですね。もともとトップ下、前めの選手でした。攻撃に絡むのが特長で、好きなポジションでした。大学に入って、守備ができないと試合で使ってもらえない。そこから身体を大きくしたり、指示の声を味方に発信したり、ボールを奪う力を高めてきました。

――ほかにはどのような違いなどがありましたか。

 プレーですと、高校のときは、自分が中心となって攻撃を成り立たせていました。しかし桐蔭横浜大学に入って、とにかく個が強烈な選手が多いのでみんなが自分に合わせたものが、自分が味方に合わせること、要求することが必要となりました。1年の時はそうした難しさを感じました。周りを見ること、味方の特長を把握すること、その点ではキャプテンの経験が生かされているなと感じました。自分のプレーに集中しすぎて、まわりのことはあまり考えていませんでした。余裕を持ち始めて、キャプテンのときの経験を思い出して、2年では関東1部リーグに参加するBチームで、そして3年にトップチームで試合に出られるようになりました。

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