香港での引退試合での伊藤氏

――アジア22か国でプレーするまで続けられた理由はありますか?

 小さい頃からサッカーを続けていて、何かサッカー界で名前を刻みたいという想いがありました。ベガルタ仙台(当時はブランメル仙台)でJリーガーになることが出来て、ある程度試合にも出ることも出来ましたが、実力的に上には上がいて、日本代表になったりするのは難しいと思ったんですよ。そう考えた時に"1年1ヵ国少しでも多くのアジアの国でプレーしながら移動していく"という目標を思いつきました。ベガルタ仙台で戦力外通告を受けた時に、「自分が引退した時に何か武器が欲しい」と思ったので、アジアのスペシャリストになりたいという想いもありました。

――今後はどういったキャリアを積んでいきたいですか?

 今までアジア22か国でプレーした経験を活かして仕事をしていきたいです。既に2年前から始めているスクール(チャレンジャス・アジア)に関しても、今後はもっとカテゴリーを拡大していきたいですし、スクールの卒業生がアジアでプロになれる様なサポートもしていきたいと思っています。また、指導者ライセンスも今はC級ですが、5年後までにアジアの国の代表監督や、アジアのクラブの監督をやってみたいです。ただ、何か一つだけに絞って仕事をしていくつもりはないので、解説等も話があればしてみたいですし、何処かのアジアの国でレストランを出店してる?なんて事もあり得るかもしれません(笑)

――高校生に向けてメッセージをお願いします!

 Jリーガーになって、ヨーロッパでプレーしてという夢を描くのは王道ですけど、例えばJリーガーにはなれなかったけど、一度アジアの別の国でプレーして日本に逆輸入で戻り日本代表になる、なんていうケースもあるかもしれない。もしくは、Jリーグからオファーがあるけど過酷な環境も求めて南米やアフリカ大陸に行く選手がいても良いと思う。道は一つではないから、もしその時自分の望んだ道に進めなくても、一度別の道を突き進んだ後に戻ってくることだって出来る。挫折した時は、遠回りしてでも自分の道を突き進んで欲しいです。

――伊藤さん有難うございました!

(取材・文=石津大輝)