――追い込んだことが、ある意味自信になっていたと。
朝5時の始発電車に乗って、自宅に帰るのが夜21時という生活を月曜から金曜まで過ごして、土日も練習や試合が組まれている。ずっとそんな生活だったので、遊ぶ時間は当然ない。でも、そういう生活を経験したからこそ、プロとして今この年齢までやっていられているのかなと。
――メンタル面も鍛えられたわけですね。
間違いないです。1年次は、練習前に毎日10キロ走ってから校庭に集合でしたからね。みんなでふざけて話していましたね、「スパイクよりランニングシューズのほうが減りが早いな」とか。本当にそれくらいのレベルで走っていました。
――古沼貞雄先生は厳しかった?
それはもう、めちゃくちゃ厳しかったです。古沼先生もそうだし、コーチの荒谷(守)先生もすごく厳しくて。荒谷先生は生活指導の先生でもあったので、私生活が乱れているとすごく叱られました。サッカー部の生徒はみんな学校に入った瞬間から緊張していました(笑)。
――そんな過酷ななかで何を意識して日々を過ごしていましたか?
プロになりたい、その一心でした。
――その目標があったからきつい練習にも耐えられたと。
そうですね。Jリーグが開幕してからずっとプロになりたい、サッカーでお金を稼ぎたいという気持ちを持ってやってきていた。それに母親は朝4時くらいに起きて弁当を作ってくれたり、父親は駅まで送ってくれたり、いろんな人に支えられてもらったのもある。弱音を吐いても仕方ないと思っていましたね。
――「帝京魂」とよく言いますが、そういうものはありました?
とんねるずさんが言ったことで広まりましたよね。確かに僕らも「帝京魂」という言葉はずっと聞かされていたので、テレビで有名になる前から感じるものはありましたね。ただ、じゃあ「帝京魂ってなんなの」と訊かれても、言葉で説明するのは難しいんですよね。無理やり言葉にするなら、簡単ではありますけど、諦めないこととか、そういうものになるんだと思います。