山下奏大氏(左)と嶋本嵐氏(右)(写真=多田哲平)

――和倉ユースなど多くのフェスティバルをサポートしていますね。そこには、どういった意図や想いがあるのでしょうか。

嶋本 大阪体育大学は、日本一になるためにプレー以外の部分も追求することを掲げています。その一環が各部署の活動であり、指導部はサッカー部が日本一になるために指導を学び、僕ら審判部もレフェリング技術を上げてルールを理解することでチームの底上げを図っています。そして審判活動で外部の大会をサポートしたり地域貢献したりすることで様々な方と深い関わりを作れる。それが応援されるチーム作りにつながる。そこが一番ですね。

山下 「応援されるチームになる」というのは(松尾元太)監督が常日頃から言っていることです。地元や卒業生、関係者に深く関わって、日本一のチーム作りを目指しています。その目標を踏まえたうえでの様々なフェスティバルへの参加なんです。

――フェスティバルで審判をやっていて良かったと感じる時はいつですか?

嶋本 僕は将来教員を目指しているので、高校生の試合で笛を吹いている時にベンチの指導者の声を聞けるのはとても貴重です。選手にどういった声をかけるのか、アプローチ方法を毎回学ばせてもらっていますし、ピッチの中だと選手の反応も間近で見ることができるので勉強になりますね。

山下 審判活動を通して生まれた様々な人とのつながりも、大きな財産になっていますね。同期だけじゃなく先輩や後輩、そしてイベントの主催者などスタッフの方々と、本当に多くの人と出会い、審判についてだけでなく色々な話をして良い経験をさせてもらっています。

――審判としてだけでなく様々な学びがあるのですね。そもそも、おふたりはなぜ審判部に入ったのですか?

嶋本 僕は初めは指導部に入りたかったんです。1回生の頃から将来的に教員になりたいと思っていたので。ただ人数制限がありジャンケンで負けて……実はそんな経緯でした。

山本 僕は、知り合いの先輩が審判部にいて「入ってみいひん?」と誘われたのがひとつ。もうひとつは単純に審判をやってみたいとも思ったんです。

――大学の審判部に入って、実際に試合をレフェリングすることになって初めはどうでしたか?

嶋本 初めては大阪体育大学の試合でしたが、緊張したし、やっぱり難しさを感じましたね。それからルールを改めて覚え直したり、ファウルの基準を自分なりに作っていくのに苦労しました。

山下 僕はポジションがGKなので、初めは後ろに人がいることに初めは違和感を覚えていました。試合中どこに立っていいか分からないし、邪魔していないかとすごく不安で。探り探りやっていましたね。

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